昭和47年11月18日 月次祭
中村良一
一生が修行じゃと教祖様は仰る。一生が修行じゃと。修行のない所に、力もお徳も頂けません。それで、もうこれだけ頂いたからという事ではなくて、限りなく頂かせて貰う。一生、頂き続けるという。そこに、信心の修行がある訳です。ですから、信心修行というのが、いつも、同じ修行であってはつまらない。段々、段々、程度も高くなって行かなければいけないし、また、その修行も、尊い、有難い修行に変わって行かなければならぬ。一生、例えて言うなら、貧乏の修行を一生しとるような事じゃつまらん。不健康の修行を、一生、病気の修行をしとったんじゃつまらん。そういう修行から、段々、段々、修行も、有難い修行に、尊い修行に変わって行かなきゃららん。
今日、お祭りを、奉仕いたします、一二時間前、ただ今あの、皆さんにも伝えておられましたように、明日、ここの、北九連の青年の方達が、ここで、沢山集われる。長崎、佐賀辺りから、北九州はもちろん、まぁたいがい、幹部の方達ぐらいじゃないでしょうかね。今日はもう、そのご準備のために、お世話をなさる幹部の方達は、次々と今晩、もう見えておられます。先ほど、つーっと追っかけさせて頂いたら、若先生が、先生、今日は、珍しい方が見えておられますとこう。どなたじゃろうかと。福岡の後藤先生ですよと。私は、何が何やら分からなかった。けれども、ほら、先生この、和賀心時代に出てくる、あの後藤先生です。はぁ、あの後藤先生と言うて、実は、後藤先生はもう、先年、亡くなっておられます。その、まぁ私が、福岡で修行中の時分は、まだ、こんな小さい、確かにお子さんが居られた。が、もう、立派な先生、お医者さんになられて、明日の青年の集いに、幹部としてから、今日はお見えておられる。まぁ、見れば見るほど、お父さまの後藤先生に、よう似ておられる。大変なつかしいことだと思わせて頂いたんですけれども。
私の、まぁ言うなら、いよいよ、修行が一番きつい修行。私の、一番、いわば、苦しい修行なんです。何というても、やはり借金に責め抜かれる時が、一番きつい修業だったと思うんです。もう、どうにも出来ません。背に腹は替えられません。当時、長浜町の、今、あそこは市民会館ですか、ありますところが、広い埋め立て地がありまして、そこで、野球が、何組もできる様な広場の、こちらの方には、朝鮮人部落があります。その、電車を通った所の電車通りに、まだ、ささやかな後藤小児科と言う病院がございました。私は、どうして後藤先生にお目にかかり、どうして後藤先生に、お近づきになったんだろうかと。今日は、しきりに思うたんですけれども、思いだせなかった。そしたら、ただ今、御祈念中に、はぁほんに、あんな事だったなぁと思ったんですけれども。先生も、あの当時は、福岡の教会にお参り。私も、毎朝、福岡の教会に参る。その時分の事です。ちょうど、甘木の、四十五年の記念のお祭りがございます時に、あの時には、秋永先生一家、お婆ちゃんやら、秋永先生やら、文雄さんもおったでしょうか、一緒にお参りしたんです。その時に、沢山な先生方でご奉仕になりましたが。その、私の目の前を、いわば、お装束をつけられた先生方が、次々とご参講になります。その参講される先生方の冠がね。全部、後ろが巻いちょる。私はもう、びっくり、自分の、その目を疑う。開けとるのですからね。いわゆる、心の目にくださっとるのですけれども、目を疑ったんです。何回頂いても、やはり、冠の後ろが、こうやって巻いちゃる。これは、お葬儀の時にしか致しません。普通は、冠がこう垂れておるね。それをこう巻いてある。もうびっくり致しまして、神様に、その事をお伺いさせて頂きましたら。安武松太郎の国替えを頂いた。私はもう、誰にも予想ないとですよね。そんな事ですからね。
そん時には、四代金光様、現在の教主様が、御祭主を務めになられました。神様から、そんなお知らせを頂いて、誰にか早く、言いたいのですけれども。言う方がない。そこで、福岡の教会で、後藤先生にお目にかかった時に、奥さまも大変熱心なご信心なさっておられるという事を聞いておりましたし、その時に、後藤先生、実はと言うて、お話をしたのが、初めての様です。そん時からが、私の話を聞いて下さるようになり、あの四畳半の、雨が降る時には、だだ漏りするようなところに、福岡の教会の帰りには、必ずというて良いほど、ずっとお参りになってる。そして、ゆっくり信心のお話をさせて頂きます。それをもう、それこそ、慇懃な態度で、それはもう実意丁寧なお方でした。もう慇懃な態度で、お聞きになる。まぁだ、教会でもない、その私が、いわゆる、掘っ立て小屋のような所で、拝ませて頂いておる神様にも、実に鄭重にご挨拶をなさる。お初穂なんかも、ちゃんと、大きな水引のかかったお初穂を、毎朝、それをお初穂なさる。もうここは、教会ではないですから、そんなことはなさらんでも良いですよと。いいえ、こりゃまぁ、神様へのお供えですからと言うて、なさっておられるような事から、私と後藤先生の、言うなら出会い、それから、お付き合いという事になりました。
そういうような時に、そのいわゆる、私はもう、どうしても、そういう福岡から、椛目の方へ帰らんならんのに、どうしても、一万円持って帰らなければならんのですけれども。その一万円の金策が出来んのです。その時分の一万円といや、やっぱり、二十五六年も前の話ですから、ずいぶん値打ちのある一万円ですよね。そこで、あの、北京から持って帰っておりました、これは全然、まだ着ておりません背広がありました。だから、その背広を持って、後藤先生のところに、もう、本当に、背に腹は替えられんですよね。神様にもう、お願いしお願いしして、実は、今日、一万円、金がないのですが、どうかあの、しばらく貸して頂けんでしょうかと言うたら、もうそれこそ、二言も言わずに、あちらの奥様が、一万円、金を出してきて下さいました。私はあの、その当時、自分の事を思うんですけれども。それこそ、ささやかな、小さい病院でした。もう、居間も寝室も一緒。そこにお神様がお祭りしてあった。金光様のお写真が、こうやって、上に上がっている。そして、いつ御参りしても、その金光様のお写真の前に、紙がこう貼って、下げてあるんですよ。あれは、後藤先生、どうした訳ですかち言うたら。はい、実はもう、ここは、私共の、お座敷でもありゃ、寝室でもありますから、勿体ないから、普通は、ああして、紙を貼って下げております。そして、拝ませて頂く時だけ、紙をこう上げて、拝むんだと。はぁ本当に、実意丁寧な、行き届いたお方だなぁと、私は思いました。普通(さんじゅう?)の時には、金光様のお写真でお粗末な。また、休んだりする所に、寝室にお祭りしとるから勿体ない。それで、紙をこうして貼って下げてあると言う。そういうような実意、それこそ丁寧なご信心をなさっておられました。それで、持って行った洋服を、これをしばらく、金の方に置きますからと言うたら、もう、そがな事なさることは要りません。お洋服あ持ってお帰り下さいと言うて、一万円貸して頂いて、そうですね、もう何年間か、それをお払いする事が出来ませんでした。お払いが出来るようになりましたけれども、神様が、お許しを頂きませんでした。私が、後藤先生に、そん時に、お詫びの証文を書いて、自分では持って行かれませんから、秋永先生に、お話に行った時に。実は、こんな訳で、まだご無礼しとります。忘れてはおりませんからというような意味の事を書いて、秋永先生のところに置いて、後藤先生のところに届けてくださいと。そしたら、その後に聞いたんですけれどもね。それを、秋永先生が届けてなかったげな。それで自分方にある。まぁいうならば、親先生の借金の、お詫びの証文がですね、家にあると言うて、いつか言うておられた事がありましたが。確かに、大橋に残っておる筈です。というようなね、ことから、後藤先生との係り合い。それから、今も申します様に、甘木の初代の亡くなられる事を申しましたら、これだけは、後藤先生が信じなさいませんでした。私が、ちょうど、前の日に、そんな事を言うて、先生と一緒に、病院の方に参りまして、行ったら、奥さまがお茶を持って見えて、ちょっと今、大坪さんが、こういう事を言われるぞと。そんな事がありますか。今日、私はお参りして、親先生にお目にかかって来たばっかりですよ。まぁだ、元気かくしゃくとして、お取次が出来ておられる。そんな事がありませんち言うて、あちらの奥様が仰った。それから、間もなく亡くなられた。というような事でございましたがね。
その時分に、私が、その一万円の金がないために。そういう、とても、面でもかぶって行かなければ、行けないようなところに、お金を借りた自分の事を、神様に、私、お願させて頂いておりましたら。大きな虎がね、それこそ大きな大蛇です。大蛇がもう、こう巻いてる。もう虎がね。もうとにかく、必死でその、大きな大蛇に巻かれておるのをね。こうやって、外そうとして、一生懸命で、外そうとしておる所を頂く。と言うほどに、難しい。虎と言うのは、私の事でしょう。私は、当時、虎年、虎年と神様が読んで下さった時代があるんです。私が、干支が虎ですから。それで、大きな大蛇と言うのは、それこそ、大きな巡りという事でございましょうね。その大きな巡りのために、その巡りと戦うという事だけが、大変な修行であったという時代が。だから、そういう修行が、一生続いたって、こりゃつまらんでしょう。何時も大蛇に締め付けられちから、きゅうきゅう言いよる。なるほど、それも修行は修行でしょうけれどもね。そういう修行をです、本当に、本心の力を持って、その巡りのお取り払いを頂いて、そして、次の信心に、次の信心修行に移って行かなければ、値打ちはないのだ。
学者がメガネをかけて、本を読むようなものであろうぞ。幾ら年をとっても、やはり、メガネをかけてでも本を読む。それは、学者がね、本を読むという事は、あーあ、また今日も本ば読まんならんというのではなくて。その本を読む事が楽しいのであり、嬉しいのであり。そして、これが学徳でもあろうか、学識でもあろうかという、新しい知識が、段々、増えて行く事が楽しいのですから、いわゆる、本を読むという事は、勉強をするという事なのでしょう。学者がメガネをかけて年をとっても、本を読むようなものであろうぞいと仰せられるように、私共の信心修行も、一生、それが、なし続けられていかなければならぬ。しかもその、修行というのがです。ほんなら、二十数年前の、そういう修行は、一つも致しません。ほんなら、金に困るというような事はありません。食べ物に困るというような事もございません。あれに不自由するというような事はございません。それこそ、勿体ないほどしの、ほんなら、おかげを頂いとるから、もう、それで良いかという事ではなくてです。私は、いわば、その時とは数倍の尊い有難い修行を、やはり、今も、なお続けさせて頂いておるという事です。修行ですから、決して楽な事はありません。けれどもね、その修行によって、付いてくるところの学徳、勉強によって、学徳が付く事を自分で感ずることのように、信心修行によって、自分の心の中に灯されるところの信心の光は大きくなって行く。自分の力が、段々、大きくなって行く、これが御神徳であろうかと、自分でも感じ、思わせて頂く様なおかげを頂くから。同時に、その修行には、必ず、おかげが伴うておるから、私は、やれるんじゃなかろうかと。ただ、幾ら尊い修行だと言うてもです。おかげの伴わない修行なんて、私は、これは可笑しいと思う。そら、修行が間違うとる。そりゃもう、修行だけでよかちいう事はない。その修行には、必ず、力が伴う、徳が伴う。それには、必ず、おかげが、限りなく伴うてくるというおかげを頂くから、一生、修行させて頂いても、また楽しいということになり。一生、修行させて頂くという事は、わが心が、神に向こうて進んで行く喜びと楽しみがある訳なんです。一万円の金に、それこそ、もう本当に、死ぬる思いをする。それこそ、とてもとても、この人の家に、お金を借りにいけない所に借りに、もう背に腹は代えられぬのである。
私は、さきほど、そこでその、後藤先生のお子さんに、お会いさせて頂いて、まぁ本当に、懐かしさが込み上げてくる思いをしました。とこう、お礼をさせて頂いておりましたらね。あの先日、映画で、ちらっと見ましたんですけれども。一本刀と土俵入りがありよる。あの一本刀と土俵入りのところで、花道のところで、最後にね、これが、しがねぇ私の土俵入りでござんすとか何とか言うて、あの決まるところがあるでしょう。土俵入りの真似をして、こう決まるところがある。あそこのところを頂いた。もう本当に、胸が一杯になった。はぁ、今のこういう状態をね。当時、私の事を心配しておって下さったり、祈っておって下さったり、いうなら、後藤先生なんかは、そういう私の、いうならば、ファンであった。その先生ね、今日おって頂いたら、どんなに喜んで頂くだろうか。いいや、今日は、おそらくは、息子が、今日は、合楽教会に行って、おかげ頂くと言うので、おそらくは、先生も、御霊様が、着いてお出でられておるのではなかろうか。私が、現在、この湯におかげ頂いておる様子を、言うなら、お子さんにでも見て頂くという事は、それは、ちょうど、あの一本刀土俵入りの、それこそ、まぁ、土俵入りの姿を見て貰うたような思いがしたのでございます。
お互いがね、一生懸命、信心をさせて頂いて、という事は、一生懸命修行させて頂くという事だと思う。その修行にです、力が、光が伴うという事の、私は、実感です。でなかったら、信心は出来ませんよ。修行を続けられませんよ。しかも、その修行がです。段々、有難い修行に、尊い修行に、いわゆる、高度な修行になってくる。もう金がない、金に苦しめられるといった様な修行ではなく。いうならば、巡りに追い立てられたり、巡りにさいなまれたりするという修行ではなくて、ただただ、御神徳を頂いて行くという事は、わが心が、神に向こうて行くという事のための修行なのですから。こんなに尊い有難いことはない。おそらく、手足の続く限り、やはり、尊い信心修行が続けられる事だろうとこう思うのです。ですから、そんなら、例えば、みなさんの場合、巡りのために、さいなまれ、巡りのために苦しめられておられる、例えば、みなさんが、大体、多いと思うのです。難儀を持っての、いうなら信心。ここんところをおかげを頂かんならんから、一生懸命お参りをしておるという方達は、ちょうど、大きな虎が、大きな大蛇に、それこそ、巻き殺されんばっかりに、こう締められておるような時ではなかろうか。ですから、ここんところを、しだごだにせずにです。ここんところを、渾身の力で、もうそれこそ、明けても暮れても神様、金光様と、祈り念じ続けさせて貰うて。昨日一昨日から、今朝にかけて頂いております様に。それこそ、ひたすらに祈り、ひたすらに神様を思わせて頂くという時代でなからなければならんのじゃないかと。このひたすらに願う、ひたすらに思うという時にです。もういうならば、隙がない。これはね、当時頂いたんですけれども、例えば、正と邪、いうなら、巡りと御神徳。これはね、例えば、お徳の力が五十なら、巡りの力も五十なら、同じだから、もう、どちらが勝つか負けるか分からんという所でしょう、大体。けれども、ここんところがです、もう、正と邪との違いは、もう同じ力であるなら、絶対、正の方が勝ち、邪の方が負けるという法則があるです。これは、絶対なんです。
ですから、私共が、本当に苦しい時にはですね。いうなら、巡りも、もうへとへとになっとる時だという事なんです。だから、その巡りの方もへとへとになっとる、こっちも、へとへとになっとるとに、こっちがほんなら、もうとても、私は駄目だと言うて、信心を落として行ったら、どういう事になりますか。例えば、五十と五十なら、正の方が絶対に勝ちますけれどもです。巡りの方が五十、正の方が四十五という事になったら、これは巡りに、やはり、押し潰されなきゃならんです。同じ力なら、正が勝ち、邪が負ける。これは、もう法則なんです。正邪の争いとこう言う。けれども、ほんなら、その邪の方がずーっと強い時には、邪に負けるんです。ですから、私共が、苦しい時、へとへとの時にはです。ほんなら、私共も、五十なら五十の力、百なら百の力を出し切っておる時。そんなら、巡りの方も、百の力を出し切っておる時だから、へとへとなんです。時には、今、巡りも、やはり、へとへとだと思わせて頂いて、ここんところを、生神金光大神を唱えながら、ここを、頂き続けさせて頂く時にです。初めて、巡りのお取り払いが出来る。私が、その虎が大蛇に巻かれておる時の様なものなんです。その時に、やはり、本当に、渾身の力が要るのです。ここのところを、私は、いい加減な信心では、一生、その巡りのためにさいなまれなければならない。苦しまなければならない。信心しておりますから、お取次のお徳によって、おかげを受けましてもです。それが、いわゆる、より尊い修行、より尊い有難い高度の修行に移って行く事が出来んのです。信心は、一生が修行。それは、山登りにも等しい。それは、学者が、年をとっても、メガネをかけて本を読むようなものにも等しい。はぁ本当に、こん歳になるまで、本を読まんならんちは、情けない事ではあるというて、学者は勉強はしません。やはり、学徳が身に着くこと、新たな知識が身に着く事が楽しいのである様に、私共も、信心の力が、信心の徳がです。身について行く事が楽しいから、高度な信心修行がありがたい。信心は、やっぱ、山登りと同じだから、きつい。きついけれども、有難い。段々、視野が広がってくる。頂上を極める喜びがある。だから、信心修行はきついけれども有難い。きついけれども楽しい。だからこそ、私は、信心に、張りのある信心が出来ると思うのです。
私は、みなさんに、一番今、求めたいのはです。本当に、みなさんが、例えば、難儀を持っておる、苦しい時には、巡りもやっぱり、同じ苦しさであるという事を知って頂きたい。その苦しみに、こちらが、一歩でも、ほんなら、巡りに譲ったら、巡りに押しつぶされてしまわなければならない。私が苦しい時には、巡りも苦しいんだと思わせて頂いて、本気で、これに取り組ませて頂く気になればです。もう、正と邪なのですから。もう絶対に、同じ力と力ならば、正の方が勝ち邪の方が負けるという。いうならば、神様の掟があるのです。ここを頂き抜かせて頂く時に、いわば、虎が自由になった。いうなら大蛇が、こう外れた。その力で、向かわせて頂くもんですから、信心の力は、どんどん、身について来た。もう、自分だけで助かるのではない。人までも助かるという事になってきた。このような信心のです、おかげを頂いておる、二十数年前の、私の姿を知っておられる後藤先生がです。今日の私を見て下さったら、もう、どんなにか喜んで下さるだろう。私は、今日はその、後藤先生の御霊様の前で、まぁそれこそ、土俵入りの一つもして、見せて差し上げたような気がさせて頂いた。御霊様が、喜んで下さっているに違いはない。それが、あの当時と同じに、やはり、私が、現在も、やはり借金に苦しんでおるというような修行をさせて頂いておったんではです。だーれも喜び手はない。だからね、おかげを頂く時に、やーっという、その力で、押しに押しまくっていかにゃいかん。それを、ようやく、もう八までも、ここのつまでも、例えば、とんおのものであるならば。修行させて頂きながら、後の一つか二つかで、がたがたっと崩れてしもうて、また、元の黙阿弥のところから、また登り直さんならん。信心は止めきらん、やっぱ有難い。だから、いつまでたっても堂々巡りのおかげしか頂けていないです。というようなおかげでは、私は、力を受けておる、徳を受けておるとは言えないと思う。そういう人が、どのくらい多いか分からない。金光様の御信心の中にね、本当に、例えば、巡りのお取り払いを頂かせて頂く時には、やはりきつい。そりゃ苦しい。けれども、そこんところを頂き抜かせて頂いてこそ、初めて、次の段階の信心修行が、また待っておる。これは、もう、より高度な修行である。より尊い修行である。わが心が、神に向こうて行く修行である。だから、信心は有難う、信心は、一年一年有難うなるという事は、そういう修行を頂き続けて行く行き札の事をです、一年一年有難うなるという事じゃなかろうか。年を取って行けば、段々、有難いことが増えてくる。というのは、そういう信心を頂き抜かれた方達だとこう思うのです。同じ苦しみ、同じ難儀なところで、ぐるぐる回っておるような信心から、一つ本気でね、信心修行をさせて貰うて、その修行に力が伴うて、その修行に徳が受けられて、その徳におかげが伴うてくる、寄り添うてくるというようなおかげでなからなければ、神様に喜んで頂くおかげとは言えないと思うです。
今日はね。その修行の事を聞いて頂いた。しかも、その修行が、段々、高度な修行になって行かなければならない。年を取ってもです、それが楽しゅうなる。修行ですから、やはり眠たい。修行ですから、やっぱりきつい。けれども有難いというものが伴うて行く修行でなからなきゃならない。このまま、おかげを頂いて行くから、わが心が、神に向こうて行きよる楽しみ、信心の、いよいよ、有難い境地が開けてくる。
どうぞ、明日は、そういう青年の方達の集いがあって、中国の教務所長先生ですか。森先生とか仰る方が、お話に見えるそうです。ですから、皆さんも、お出でて、まぁ後ろの方からでも、お話を聞かせて頂いたら、有難いと思うんです。どうぞ、明日は、十時からですかね。ですから、その心算で、お出かけください。おかげ頂いて貰いたいと思います。